1970年代に登場し、今なお多くのファンを持つ初代フェアレディZ(通称S30型)。その魅力は美しいロングノーズ・ショートデッキのスタイルに加え、当時としては高性能なスポーツカーとしての実力にもありました。一方で、「暴走族が乗っていた」「走り屋が好んだ」といったイメージがつきまとうのも事実です。本記事では、S30フェアレディZを取り巻く当時のカルチャーをひも解きながら、その真相に迫ります。
S30フェアレディZとは?
S30型フェアレディZは1969年に日産自動車から登場したスポーツカーで、北米では「DATSUN 240Z」として販売されて大ヒットしました。日本国内では「Z432」「Z-L」などのグレードが展開され、エンジンや装備の違いで個性を出していました。
L型直列6気筒エンジンによる滑らかな加速と、軽量な車体が織りなす走行性能は、多くのクルマ好きから熱い支持を受けました。
暴走族に人気だったという説の背景
1970年代から1980年代にかけて、暴走族と呼ばれる集団が社会的に問題視されていた時期、スポーツカーや大型バイクはその象徴的存在でした。S30Zもその対象の一つとされることがあります。
しかし、実際にはZは高価なスポーツカーであり、当時の暴走族の多くが乗っていた車両はもっと安価で手に入りやすいセダンや旧車が中心でした。S30Zは車両価格・維持費ともに高めだったため、彼らの主流ではなかったと考えられます。
実際に多かったのは「走り屋」
S30Zの主なユーザー層は、いわゆる“走り屋”や“スポーツカーファン”でした。特に峠道やサーキットでの走行を好む人々の間では、Zの直線性能とバランスの取れたハンドリングが高く評価されていました。
また、Zはカスタムベースとしても人気で、キャブレターの変更や足回り強化、ロールバー装着など、サーキット仕様へと仕上げるユーザーも少なくありませんでした。
当時のカーカルチャーとZの位置づけ
1970~80年代の日本では、若者の車離れとは無縁の時代。クルマは単なる移動手段ではなく、自分の個性を表現するツールでした。Zはその中でも特に“走り”を重視する層に愛された存在でした。
たとえば、Zで首都高や箱根ターンパイクを攻めていたという体験談も多く、当時を知るクルマ好きにとっては憧れの存在だったことが伺えます。
S30Zの現在の評価と価値
現在、S30型フェアレディZはクラシックカー市場でも高値で取引されています。特に純正状態を保った個体や、Z432など希少グレードは数百万円から一千万円超の価値がつくことも珍しくありません。
これは、当時の“走り”に特化した性能だけでなく、世界中のファンからデザインや歴史的背景が評価されている証拠でもあります。
まとめ:フェアレディZは「走り屋」にこそ愛された名車
S30型フェアレディZは、その高い走行性能とスタイリッシュな外観から、多くの「走り屋」たちに支持された名車でした。暴走族のイメージも一部にはありますが、実態としてはサーキットや峠道を駆け抜ける本格派ドライバーにこそ愛された存在だったと言えるでしょう。
クルマとカルチャーの関係を知ることで、フェアレディZの真の魅力をさらに深く理解できるかもしれません。
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