日本の車文化には、国産車と輸入車に対する微妙な感情の違いがあります。とりわけ、「愛国かぶれ」や「外国かぶれ」といった表現が使われると、なぜか国産車ユーザーは軽く流すのに対し、外国車ユーザーは否定したり、反発したりする傾向があります。この違いはどこからくるのでしょうか?本記事では、社会心理やブランド意識、消費行動の観点からその背景を解説します。
国産車に乗る人は「当たり前」の延長にある
日本ではトヨタ、ホンダ、日産など信頼性の高い国産メーカーが数多く存在し、価格・メンテナンス性・販売網すべてにおいて優位です。そのため、国産車に乗ること自体が“選ばれた選択”というより“無難な選択”として認識されています。
このため、「愛国かぶれ」と言われても、「まあ、そうかもね」と受け流せる人が多いのは、“わざわざ選んだ”という意識が強くないからとも言えます。
外国車は「選びに行ったもの」という意識が強い
一方で、外国車、とりわけヨーロッパ車(BMW、メルセデス・ベンツ、アウディなど)に乗る人は、車選びに強いこだわりや美学を持つ傾向が見られます。
例えば「走行性能を重視してBMWに乗っている」「デザイン性でアルファロメオを選んだ」など、外国車ユーザーは「なぜその車を選んだのか」という理由を明確に持っていることが多く、その選択を外部から「かぶれている」と表現されると、自分の価値観やセンスを否定されたと感じやすいのです。
「外国かぶれ」は文化的・価値的な否定を含む
「外国かぶれ」という言葉は、単なる嗜好を超えて、“自国を卑下し、外国文化を無条件に賛美する姿勢”を揶揄するニュアンスを含んでいます。
これは外国車オーナーにとって、自身の趣味や感性への攻撃と受け取られやすく、「ただの車選び」にとどまらず、人格否定のように感じることもあるため、反発が強くなりがちです。
実例:両者のリアクションの違い
・国産車ユーザー:「愛国かぶれって?まあメンテ楽だし、日本の車は安心だからね(笑)」
・外国車ユーザー:「外国かぶれって何?好きで選んでるんだよ、見下さないでくれる?」
このように、前者は自嘲混じりの柔らかい反応、後者は自己防衛的な反応になりやすいのは、選択に対する“主体性”と“誇り”の差に起因しています。
背景にある“ブランド選好”と“ステータス意識”
輸入車は国産車に比べて高額で、維持費も高くつく場合が多いため、「あえてそれを選ぶ」という行為自体にステータス的な意味が含まれることもあります。
そのため、「かぶれている」と言われると、自分の判断=センスや知識の否定に直結して感じられ、過敏な反応につながるのです。
まとめ:「かぶれ」という言葉の重みと、それぞれの立場の違い
「愛国かぶれ」「外国かぶれ」という言葉は、単なる嗜好を指摘する以上に、相手の価値観やアイデンティティを軽視する意味を帯びやすいため、言葉選びには注意が必要です。
国産車と外国車のどちらを選ぶかは、個人の価値観やライフスタイルに基づく選択であり、外部からのラベリングによってその正当性が否定されるべきものではありません。
お互いの立場や感情の背景を理解し合うことが、健全な車文化やコミュニティを築く第一歩となるでしょう。
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