ISUZU自動車がかつて販売していた「FARGOフィリー」は、初代日産エルグランドをOEM供給してもらい、販売していたモデルです。しかし、2代目エルグランドが登場した際、ISUZUは同車をベースにしたFARGOフィリーを販売しませんでした。この記事では、ISUZUが2代目日産エルグランドをFARGOフィリーとして販売しなかった背景や、自動車業界の変化について解説します。
1. 初代FARGOフィリーの背景
初代FARGOフィリーは、1997年から販売されていたモデルで、日産エルグランドのOEM供給を受けてISUZUが自社ブランドとして販売したミニバンです。ISUZUが乗用車部門のラインナップを充実させるため、日産との協業により生まれました。特に商業車や大型車両を中心にしていたISUZUにとって、ミニバン市場に参入するための手段として日産のエルグランドを採用したのです。
このOEM提携は、一時的にISUZUの乗用車部門の強化を図るために有効な手段となりましたが、結果的に短期間で終わりを迎えます。
2. ISUZUの乗用車市場からの撤退
FARGOフィリーの販売終了の背景には、ISUZUが乗用車市場から撤退する方針を打ち出したことが大きく影響しています。2002年、ISUZUは経営合理化の一環として、乗用車の生産・販売を終了し、商業車やトラックなどの事業に注力する決断をしました。このため、OEM供給を受けていたFARGOフィリーもそのまま販売終了となり、2代目エルグランドのFARGOフィリー版が登場することはありませんでした。
ISUZUの経営戦略が変わったことで、ミニバン市場や乗用車市場への関与が終わりを告げたのです。
3. 自動車業界の変化とニーズの移り変わり
1990年代から2000年代初頭にかけて、日本の自動車業界は大きな変化を迎えました。SUVやミニバンが人気を集める一方で、商用車やトラック分野に強みを持つメーカーは、乗用車市場での競争力を維持するのが難しくなっていました。ISUZUは、トラックやバスの分野で非常に強力なブランド力を持っていましたが、乗用車市場での需要に対応するための大規模な投資や開発力を維持するのが難しかったのです。
結果的に、ISUZUは商業車や商用車分野に特化し、乗用車から撤退するという戦略的な選択をしました。これにより、2代目エルグランドをベースにしたFARGOフィリーの開発や販売が行われなかったことは、自然な流れと言えるでしょう。
4. 日産との提携解消とOEM供給終了
ISUZUと日産の間のOEM供給契約が終了したことも、FARGOフィリーが2代目エルグランドとして継続しなかった理由の一つです。日産は、2代目エルグランドの販売戦略を独自に進める方針を採り、他社へのOEM供給を行う必要性が薄れていました。また、ISUZU自体も乗用車市場にこだわらない経営方針を取っていたため、両社の利益が一致しなくなったことも影響しています。
まとめ:ISUZUの乗用車市場撤退とOEM提携の終了
ISUZUが2代目日産エルグランドをFARGOフィリーとして販売しなかった理由は、同社の乗用車市場からの撤退、業界のニーズの変化、そして日産とのOEM提携の終了など、複数の要因が重なっています。ISUZUは、商用車市場に特化することで、現在もトラックやバス分野で成功を収めています。自動車業界の変化に対応した戦略的な決断が、この結果をもたらしたと言えるでしょう。
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